時々「10年日記って書く意味あるのか……?」という、私恒例の「それって価値あるの?病」が出てくるんですが、残念だけど、10年日記は結構価値があるんだよなぁー。
なにせ、過去の自分がわかる。
過去の自分のことって案外忘れてるので、過去の私が書いた愚痴や感情を読んでると、「あー、そんなこと思ってたけど、なんか私、生きてるな……?」ということが多々ある。
たとえば私はもう希死念慮ばりばりの人間でしょっちゅう「しんどい」「生きていたくない」と思ってるのだけど、去年の日記にも同じことを書いてる。で、今年の私がそれを読む。「なんだ、私生きてるじゃん」と実績を積んでいく。
消えたい。終わりにしたい。その気持ちそのものは消えないけど、でも過去の自分より未来の自分がその感情を読むと、「あ、わたし、消えたいって気持ちをやり過ごしてここまできたのか。よしじゃあ、またしんどくなってもやり過ごせるな。よし」ってなる。それがとても大事。
特に10年日記というか、去年の同じ日の日記がずらりと1ページに並んでいるタイプの日記は、簡単に過去の自分に再会できるからめっちゃ楽。いちいちページをめくらなくても、今日の日記を書くついでに過去のわたしの日記が読める。しんどいと喚いている自分をみて、「そっかそっか。でも未来ではまだ君生きてるから、この苦しみはだいじょうぶだったんだぜ」と言うことができる。そしていまのわたしがしんどいと書いても、未来の私が「おいおい。そんなに悩むことなかったんだぜ」と笑ってくれるかもしれない。
この簡易自己救済システムを作れるのは、10年日記だからこそだと思う。