がっつり爪痕

ここに言葉を埋葬する

依存してるなあーと思う事と、その他諸々。

「何にも依存しない生き方をしたい」と思う時がある。

と同時にこの「何にも依存しない生き方」というのは、「何にも心を乱されない生き方」とも言えるんだと思う。

どうしてそんなことを思うのかと言えば答えは簡単で、今現在私が収入を得ている方法がひどく「何かに依存してるなぁー」と思うものだからである。誰かの意志や誰かの決定で簡単に取り上げられてしまいそうな危ういもの、収入やお金は大事なのに、その源がとっても危うくて時々、「このままで大丈夫か? もっと揺るがないものが必要なんじゃないか?」と思う時がある。

が、ちょっとここまで書いて思った。

……いやでも、何にも依存しない生き方って、無理だよな?

私が感じている私の不安はおこがましく言えば「根無し草の不安」みたいなものだと思う。安定した企業、安定した収入、そういったものがなく、いつどこで誰かの気紛れで引っこ抜かれても文句が言えないような身の上。しかし冷静に考えてみると、会社員だからといって何にも依存しない生き方とは言えない。いわゆる「お前だって会社に依存してるじゃん!」ってやつだ。その理屈でいくと、この世界に生を受けた時点で人間何かしらの「依存」があって、そいつと真っ正面に向き合って「おおー、依存してるなぁ。怖いなぁー。こいつが潰れたら私も終わりだなぁ」と考える私のようなやつもいれば、一方で自分の依存に気づかずに「あぁ、あいつ依存してやがんの」と他人を見ている奴もいる。どっちが正しいかはなさそうで、多分どっちのスタイルが自分に合っているかという話なのだと思う。

そう思うと以前にたまにネットで見ていた「依存先を増やそう」というのは、「とりあえず依存先をひとつだけにしておくと、そいつが潰れたときにすっごく大変だから、居場所の一つが潰れたぐらいじゃ俺は止められねぇぜ! って感じで、居場所を増やしていこうぜ」って事なんだろうな。

なんかすごく理にかなってる気がする。

世間の理不尽さ

妹のところが米がないらしい。

ラインで「米が底をつきるよー」と嘆いていて、いや、私に車があれば近くのスーパーで買い付けて届けに行くんだが、車はないし、スーパーの米もご家族さま一袋限りなんで無理なんだが。

というか、妹のところ、小さい子がいるんだよ。

対してうちのところは大人しかいない。

妹の住んでる地域のほうが羨ましいぐらいに都会なんだが、小さい子を連れてスーパーをはしごするわけにはいかないし、朝一で米を買いに行くわけにもいかないし……ということらしい。

対してうちのところは私がフットワーク軽いので、最悪私がどうにかできる。

なんというか、この理不尽さはなんだろうか。

世間的に大事にされるべきは妹だと思う。少子化にも貢献し、頑張って子育てし、なのに妹は小さい子どもがいるから米が買いに行けないのだ。一方で私は子どもはいないし、自由が利くので米を買いに行ける。でも、米がなくて困るのは子どもがいる妹のほうなのだと思う。

世間では大事にされていいはずの人達がないがしろにされている気がする。

別にそのないがしろにされてる人達が赤の他人であったなら、私はさほど気にしなかったかも知れない。(というかまあ分からないので)。でも妹であれば話は別。妹とめっちゃ仲がいいわけではないけど、お米がご家族様一袋限りでないなら、今度スーパー行ったときに妹の分も買ってこようと思うぐらいには、世間の理不尽さにむかっと来ているんだと思う。

 

気持ちがぐるぐるしてるんだが。

というわけで、なんとなく気持ちが不安定な今日この頃です。

不安定というか、なんというか……、こう、時々ある「こんなことしてなんの意味があるんだろう」っていう時期といいますか、無駄なことやってんなぁーと思う時期というか。多分前にも書いたなこの話、と思うんですが、いわゆる薄ぼんやりとした不安が漂う今日この頃。

……まあ、台風、近づいてるしね!

うちの家、川の近くだから氾濫したらマジでアウトだしね!

そりゃあ台風が通り過ぎるまでは不安しかないよね!!!

 

……いや、まじでなんかもう気持ちがぐるぐるしてるんだが、大丈夫だろうか。

ノートパソコンがほしい。

ノートパソコンがほしい。

いや、ノートパソコンがあったらいちいちパソコンがある部屋にいく必要ないし、ご飯食べ終わった後とか休憩した後にそのままリビングで作業できるし、なんか「パソコンがある部屋でしかパソコン作業ができないので、作業をしに部屋に行く」という行為が、なんとなく重たいなぁーと感じているのだと、この瞬間に実感した。

きっと区切りをつける感じで、パソコン部屋があるほうがいいって人もいるんだと思う。リビングにノートパソコンがあると、パソコン作業とリビングでの用事が一続きになってなんか区切りがなくて嫌だって場合もありそう。在宅ワークだったら部屋が違うことで気持ちの切り替えができていいのかもしれない…………、まあ、私は在宅ワークはやってない訳なんですが。

なんというか、ノートパソコンがほしい。

私がパソコン作業を(ほぼ趣味のブログとか)する上で大事なのは気軽さなので、気軽さがほしいんだと思う。さくさくっと色々とできるツールがほしい。……んー、ノートパソコンがほしいなぁー。

台風怖い。

というわけで、台風がやべぇー。

とりあえず台風ってめっちゃ個人情報だよな、いつぐらいに台風が来るのか書いたらある程度住所特定できるよな……? とか思ってたんですが、今回の台風さんの予報円がほぼ日本列島全域に及んでいて、「……これ、別に台風の話をしても住んでる地域特定されんよな……??」となったり。

うちの家は立地的にやべぇので、「台風来んな。台風来んな」と心で祈りながら過ごしてるけどどうなるのか。でも台風もヤバいけど、天気予報見ると4日ぐらいずっと雨が降る様子なんだが、そっちのほうがやばくないか。河川の氾濫よりも土砂崩れとか。

平穏無事に過ぎてくれるといいなぁー……。

自分はそれなりにうまくやっている……と、思う。

過去の自分の記事を読むと、「しんどさをうまくやり過ごしてるなぁ」と思う時がある。

私が時々色んな事情や状況から、「しんどい」「消えてしまいたい」と思っているのは、私自身がよく知っている。私はそれを感情の最大瞬間風速と読んでいる。

しんどいとき、消えたい時、私はそれらの感情の最大瞬間風速の最中にいて、どうにか何かにしがみついて耐え忍んでいる。吹き飛ばされれば終わり。だからとにかく必死にしがみついてる。……で、どうにか風が止んだと思って顔をあげると、まあそれなりにどうにかなっている。

この「どうにかなっている」感情を記事で読むと、「まあようやってるな……」となる。とりあえず、私はうまくやってると思う。(けどまあ、この手のしんどいときとしんどくない時の日記を書くことで、しんどいときがあっても将来的にはしんどくない日にたどり着けるのを知ることができるので、日記って尊いな)

 

続・手帳会議

というわけで、手帳会議です。

ひとまず「読書ログ的なのはtwitterとブログがあるけど、どっちも電子媒体だから紙でほしいよね。読み返すかわからんけど。でも、同じ事を書くの面倒だよね。あー……、印刷して紙に貼る?」というところまでいった。

で、もう一つ。

このブログを管理する手帳もほしい。

このブログ、気が向いた時に気が向いただけ記事を書いてるんで、一日一記事の優等生を演じつつ、実は一日に2記事とか書いてたりする。そうなると、まあ、「前に書いてた記事っていつの予約投稿にしてたっけ?」というのが多々ある。というか、ほぼ毎日である。

なので、記事を仕込んだ日が分かる手帳がほしい。

……こういうのってあれかな。記録をつける手帳というより、予定を書いていく手帳に「この日は記事を仕込んでます」みたいな記号を書いていくのがいいのかな。んー、どこまで続くんだろう、その手帳。パソコンで書いてて仕込むならパソコン机の側に置いておきたいけど、スマホで書く時はリビングだしなぁ。結局は書く前に下書きの最後の予約投稿日を確認するのが手っ取り早い気がするから、あんまり役に立たない気もしなくはないけど……、大事なのは雰囲気かもしれない。

 

今のところ結論としては、「あんまり書く予定ないけど、スマホに予定を全部書いてるから、スマホがぶっ壊れたらヤバイ」と最近気づいた(スマホの充電ができないことがたまにあって危機感を覚えてる)ので、予定を書く用の手帳は買った

あとの手帳はどうしようかな。ほしいけど。多分使いこなせないよな。